FORTIS(フォルティス)

Produce by TOKYO OMNIBUS

15で訪れたプロの世界 夜の赤坂で培ったフィーリング(前半) / 辻󠄀野リューベン

>本日はよろしくお願いします。ではまず、ドラムとの出会いから教えてください。

よろしくお願いします。ドラムとの出会いは中学2年生です。兄がギターを買って持っていたので、何か一緒にできれば良いなと思っていたところに「ドラムのスティック、使ってみたら?」と 姉が友人から貰っていたスティックを僕にくれたのがきっかけ。それで僕はそのスティックを使って兄とセッション。それがきっかけです。姉の一言、それが今に繋がっています。

>兄弟でのセッションが始まりなんですね!ご兄弟の仲が良かった事が今のお話だけでも伝わってきます。では次にドラムと歩んでこられたこれまでに、救われたことや、逆に苦労されたことをお聞かせください。

プロでの活動のスタートは⾼校1年生です。スカウトをいただいたのがきっかけになります。当時、兄と組んでいたバンドで赤坂で演奏してたんです。まだ⾼校生で、学校帰りに赤坂に⽴寄って演奏をして家に帰る⽇々をおくっていてました。当時はゴーゴ喫茶って言ってた。後のディスコ、今ではCLUBですね。そんな僕たちを偶然⾒ていただいて、声をかけていただいたのがワタナベプロダクションです。最初は譜面がメインだったので大変でした。何故かというと、ドラム以外は殆ど経験がなかったのでね。そこから3か⽉くらい毎⽇、楽典を勉強していました。ベッドの横の壁に⾳符を書いて勉強したりね(笑)。最初の頃は曲を聴くだけで覚えられたんだけど、曲数が増えるとそれも限界が来るわけで… 当時、必死に勉強した事は今でも覚えてますね。先輩⽅にアドバイス、お叱りをいただきながら。なんでそんなに下⼿なのってよく叱られた。でも楽しかったですね。今でもドラムだけで⾷べていくっていうのは本当に大変ですけど、逆に救われた事も多い。ドラムと出会ってこの世界に⼊れて、 楽しさを知った事もあるけど、やっぱりこのドラムがあったから、ここまで来れて幸せな今があります。

>ドラムがあったから今がある、ドラム一つで結果を出されたからこその言葉だと思います。では次に、最近主流の日本の音楽シーンをどのように見ていらっしゃいますか。

まだ結果は出せていませんが、ドラムには感謝しています。今はレコーディングが生楽器から機械化されてきて、いわゆる打ち込みですね。⾳質、⾳⾊までもが変わってきた。そして曲作りもレコーディングも個人が出来るようになった事。AIが作曲したり、やはりどうしてもグルーヴが平坦な感じになってしまう。その平坦な感じが今は好まれるのかもしれないですけどね。一⽅で試行錯誤を繰り返していた独特の丸みがある80年代くらいの曲作りの⾳⾊は今聴いても心地よいですよね。そういうのは最近少なくなって。⾳質に頼ってしまっている、そんな印象はありますね。

>なるほど。そこにはバンド自体の数が減少しているという事実も関連してそうですね。

バンドの本質は共同作業だと思っていますので、個人で作り上げる⾳楽とは違うと思っています。確かに昔に⽐べるとバンドは前に出てくるのが難しくなった感じはありますね。そもそもバンドは同じメンバーで継続させる事⾃体がとても難しいんです。それは今も昔も変わらない。昔は曲を聴いたらキャッチーなメロディーラインが⾃然に⼊ってくる。それが少ないような印象はありますね。感動する、グッとくる、聴いただけで“良い”って思わせるような心に響く⾳が多ければいいんですけどね。世代的な事なのかもしれないけれど、それぞれのパートのオリジナル性が欲しいですね。上⼿いとか、味があるなど。例えば今ね、一昔前の演歌を聴いてみたりする。これがすごく良くてね、聞かせる歌が上⼿いんです。

>確かに“世代”では片づけられない話ですよね。音の独自性の欠如はデジタル化で定着してしまうのでしょうか。では次に、バンドでドラムというパートはどうあるべきだと思われますか。

ドラムは土台と言われます。全てをキープする役ですね。リズムもテンポもそうですし、グルーヴもキープしつつ、出過ぎず周りをよく見なくてはいけない。もちろん目でも見るけれど、これはアイコンタクトだから普通のアンサンブルでも言えることかな。それだけではなくて、周りを見るっていうのはその人の健康状態もわかったりするんですよ。音って不思議でね。そういう見方もありつつ、且つ感情だけでガンってやるものでもない。気持ちをのせなきゃいけないんです。出過ぎずキープしながら、あくまで底辺でサポートしてあげる、そういうパートですね。

>健康状態までもわかるんですね、バンドでドラムに課せられる役割は、どのパートよりも多くて重要なのですね。

 次回に続く…