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4人の絆が音色に替わる瞬間 / 津軽三味線「華凜」

津軽三味線「華凜」 左から YUUMI、ERIKA、EMIKO、WAKANA

津軽三味線「華凜」(カリン)
EMIKO、WAKANA、ERIKA, YUUMI から成る4人編成。
4人は実の親子でもあり、同時に津軽三味線の師弟関係でもある。三味線の4重奏をベースに、手踊りや太鼓も取り入れた独自のライブスタイルで、TV、各種メディア出演、全国各地でのライブを中心に活躍中。

今回は「華凜」の紹介を兼ね、津軽三味線の魅力について伺います。

― 本日はよろしくお願いします。まずは皆さんの自己紹介からお願いします。

EMIKO:よろしくお願いします。「華凜」は母である私と娘たち3人から成るユニットです。私は母親でもありますが同時に師匠でもあり、時には厳しく指導する事もありますね。一方で親子ならではの感情ももちろんあって、一緒に音楽をやる上で難しい部分もあるんですが、みんなで気持ちを繋げて楽しく活動しています。

WAKANA:長女のWAKANAと申します。私は中学1年生の頃から三味線を始めました。三味線歴としては10年程、経ちます。始めたころから母に指導をしてもらいました。当初から母とステージに上がる事もあり、そのおかげで不慣れながらも母について演奏していくうちに、聞いていただく方々に楽しんでもらうという喜びを知り、三味線奏者になろうと決意して今に至ります。

ERIKA:次女のERIKAです。三味線を始めたのは10歳くらいです。実は3姉妹で一斉に始めたんです。実際は母の影響でもう少し小さい頃から触る程度は弾いていたんですが、あまり記憶にありません(笑)。私は幼少期は和太鼓も叩いていて。今は三味線メインですけどね。あと踊りもやってます。どちらかというと3人兄弟の中では踊りが好きで得意だと思います。ステージによってはWAKANAが伴奏して私が踊るスタイルもあります。

YUUMI:三女のYUUMIです。今は高校三年生の18歳です。5歳から三味線を始めて、直ぐに大会に出場する事を目標に練習を始めました。大会に出るために一生懸命練習しました。でも最初は三味線の棹が長くて全然、手が届かなくて、上手く弾けませんでしたね。私は唄も担当しています。民謡ですね。

― ありがとうございます。今の自己紹介からも皆さん親子ならではの暖かい雰囲気と深い絆が伝わってきました。

華凜:ありがとうございます。(笑)

― ERIKAさんの仰った踊りは、やはり三味線にあわせた特有のものなんでしょうか。

ERIKA:そうですね。津軽の手踊りで、大きい番傘や扇子を使ったりします。

EMIKO:日舞をイメージされる方も多いかとは思いますが、津軽の手踊りはスローテンポな曲のほかに、飛んだり跳ねたり、結構アップテンポでアグレッシブな曲もあります。日舞ともまた違うんですよね。

― 民謡についてはどうでしょう。

ERIKA:民謡については小さいときに、私とYUUMIで習っていたんです。県大会に出場して入賞したこともありました。しかも私と妹、2人同時に入賞して。幼稚園の園内で習っていたんですが、教え子が初めて入賞したと言うことで、指導していただいていた先生がとても喜んでいたのを覚えています。母が唄って、私が太鼓を叩いて… みんなマルチに何でも担当しますね。

EMIKO:ステージでは、お客さんに飽きさせないように、他の和楽器や踊りを取り入れて工夫しているんです。

― まさに華凜ならではのステージスタイルですよね。他の誰も真似できないでしょう。

WAKANA:それこそ1時間以上のステージになると、やっぱり見ている方々も疲れてしまうと思うんです。出来るだけ集中力が切れないように色々と工夫しますね。例えば誰もが知っている昭和歌謡の楽曲であったり、見に来ていただいた人たちをより引き付ける演出を常に心がけています。

ERIKA:ステージに上がる際は、その会場のお客さんの年齢層をぱっと見て選曲します。幕が上がった瞬間に予想と違えば「これは変えよう、こっちのセットリストがいいよね。」と瞬時に判断して変えたりもします。少し年齢層が高い場合は民謡を取り入れたり。

インタビュー中、終始、笑顔が絶えない華凜のみなさん

― すごい、本番直前にセットリストを変えるなんて普通はできないでしょう。みなさんの息が合っているからこその事だと思います。では次に津軽三味線のルーツについて教えてください。津軽三味線のバックグラウンドはどういうものなのでしょうか?

EMIKO:元々は三味線は東洋から来ている楽器なんです。中国では三弦、そこから琉球で三線、さらに北の方に向かい、そして津軽地方で津軽三味線となる。当時は江戸で三味線を作っていたんですが、青森の奏者が有名になった事で津軽三味線として定着しました。津軽三味線の始祖となる方が秋元仁太郎さんという方で、「仁太坊(にたぼう)」という名称で知られています。青森の五所川原市の金木という場所で全国大会が開催されるんですが、そこの優勝賞に仁太坊賞という名前がついてます。三味線奏者で仁太坊賞を取る事は一つの目標ですね。私たち華凜では同大会の団体の部で優勝を頂きました。

YUUMI:三味線の大会は他にも幾つかあって、私も全国大会で優勝しました。

― 改めて、みなさんお一人お一人が三味線界での著名な奏者なんですよね。そんな皆さんが立つステージについてですが、ライブの中で取り入れる民謡や踊りは、皆さんでアレンジされるのでしょうか。

EMIKO:元々民謡と言うベースがあって、津軽民謡というのはまた独特な民謡で、ちょっと賑やかな感じですね。私たちがステージで演奏するのは今風にアレンジしたものというか。どうしても民謡というと昔と言うイメージが強いので、もちろんそれも味なんでしょうけど若い世代の方の耳には届きづらいと思っているんです。若い方たちにも受け入れてもらいたい、その為に今風に原曲からアレンジする。例えば5曲程をミックスメドレーにしたりと、色々と工夫しています。すると音の強弱も生きてきて、聴いていて楽しくなるんですね。

WAKANA:手踊りや太鼓を加えると、見る側も景色が変わってくるんです。目で楽しめて耳で楽しめて、ステージの演出も拘り重要視しています。

― なるほど、外部のプロデューサーやアレンジャー、演出は必要なく、華凜、自らでステージを作り上げているわけですね。

YUUMI:はい、全部自分たちで担当しています。

― 納得です。しかもYUUMIさんは華凜の楽曲のマニピュレーターとして、またWeb周り、ロゴ作成まで担当されてますよね、とても説得力があります… それにしても津軽三味線は本当に可能性に溢れていますよね。

EMIKO:よく津軽三味線はロックだねって言われるんですよ。(笑)

WAKANA:実際、ロック調の曲と合わせやすいんです。

ERIKA:三味線は元々楽譜が存在しない楽器で、例えば「じょんから節」という曲がありますが、本当に奏者毎に十人十色の音色で、それぞれ全く違った曲に聴こえたりします。だからこそ様々な音楽の要素を取り入れながらも、津軽三味線の良さを大事にしながら、それでいて今風の、且つ邦楽だけに留まらないそういう奏者になりたいなと。

YUUMI:でも新しすぎてもだめなんですよね。昔の良さは残しつつ。

華凜:そうそう。

WAKANA:私たちがそういったスタンスで三味線を奏でる上で、どうしても古典的なものとして三味線を捉える上では違和感を感じる、そういったご意見がある事も承知しています。でもやはり、より多くの人たちに耳を傾けてもらうにはとても重要な事だと思います。先ずは注目してもらう事に重きをおいて、結果的にそれが三味線自体を広める事に繋がると私たちは考えています。若い方も年配の方も老若男女、より多くの方々に興味を持ってもらえる事を目指して、そうした根拠の上で多種多様なアレンジを加えたり、これまでの三味線のイメージに留まらず華凜としての新しい三味線演奏の形を届けたいと。

> 次回に続く…